過去に実際に扱った事例を紹介します。随時更新。

 

※個人情報保護のため実在する個人・企業名は記載せず、その他特定ができる事項には修正を加えています。


ATM誤振込金返還請求(不当利得返還請求訴訟等事件)


その1

 この事例は、うっかりミスによって引き起こされたトラブルだ。同様の依頼は他に何件か受けたことがあるため、珍しい事例というわけではない。

 その依頼者は家族に送金をしようとATMにキャッシュカードを挿入し、振込先銀行・支店を選んで口座番号を入力した。送金処理を実行する前に入力した内容と振込先口座名義人がATM画面上に表示されるが、依頼者は急いでいたのか、確認画面上の振込先口座が家族のものではないことに気付くことなく実行ボタンを押してしまった。このような誰にでもあり得るようなちょっとした操作ミス・確認ミスが原因となって見ず知らずの人物の銀行口座に100万円近い金額を振り込んでしまい、大金を取り戻すために依頼者は私のところへ相談のメールを送った。結論から言うと、事件が全て終了するまでに予想以上の時間がかかってしまったが全額取り戻すことができ、依頼者に満足してもらえる結果となった。当初の予想よりもずっと時間がかかってしまった理由は、後述する。

 まず、このように誤った振込みをしてしまった時には、振込みを依頼した銀行に対して組戻しの依頼ができる。組戻しとは、銀行に手数料を支払って、振込依頼人名義の口座に返金してもらう手続きだ。ただし、既に振込先口座に入金処理がされてしまっている場合には、受取人の承諾が必要になる。この事例では、承諾が得られなかった。組戻し手続きが失敗したことで、依頼者は他に打つ手がなく、私のブログ記事で同様の事例を知り、私との間で裁判外和解交渉、訴訟代理及び裁判書類作成業務の委任契約を交わすことになったという流れだ。

その2

 誤振込みによって支払った金額は、法律上の原因がない給付として民法703条に基づく返還請求ができる。これを不当利得返還請求権というが、この事例のように相手方の住所が分からず請求の仕様がない場合が厄介だ。私のもとへ依頼が来た時点で依頼者が持っていた相手方の情報は、振込明細書の記載のみ。つまり、氏名のフリガナと口座情報だけであり、住所どころか氏名も不明だった。このような事態は、誤振込みのケースだけでなく、匿名で行われるオンライン取引でも発生している。フリマアプリは便利だが、利便性の裏にトラブルのリスクがある。

 依頼者が専門家の助けを必要としたのも当然の状況で、私としては力の見せ所といえる。とにかく相手方の住所氏名を知らなければどうにもならないが、逆にそれさえ分かれば通常は解決したも同然だった。とはいえ、誤振込金の回収に万全を期すのであれば、まず保全手続きが必要になる。相手方が預金を引き出して使いこんでしまった結果、すっからかんになることも考えられるし、そうなってしまっては回収は期待できない。そこで、この事案でも裁判所に対して相手方の預金口座の仮差押えの申立てを行った。仮差押えが成功すれば預金を引き出せなくなり、回収が確実となる。正確には仮差押えの申立てと同時に不当利得返還請求訴訟を提訴したのだが、裁判所にこれらの申立てをする場合、申立書及び訴状に相手方の住所氏名を記載しないといけないため、通常であれば必要的記載事項を欠く申立てとして却下されてしまう。私は調査嘱託という手続きを活用することによって相手方の住所氏名不詳の申立てを成功させているが、これは裁判所との間の信頼関係を前提とした取り扱いといえると思う。悪用されるおそれがあるからだ。



その3

 調査嘱託とは、裁判所から第三者機関に対して照会をかけてもらう手続きで、本事案では、こちらが持つ唯一の情報である相手方の口座がある銀行支店を照会先として、口座名義人の届出住所及び氏名並びに誤振込みを行った日以降の出金の有無と出金がある場合にはその金額等を照会事項として第一回目の照会を行った。その成果として、相手方の住所氏名及び出金はされていないとの回答を得た。ここで第一回目と述べたのは、結果的に何度も照会をかける必要に迫られたからだ。この時点では依頼は順調に進んでいて解決は間もなくだと私は考えていた。

 ところで、もし相手方が誤振込金を出金していたとしたらどうなるか。一つの刑事判例が参考になる。「自己の預金口座に誤った振込みがあったことを知りながら,これを銀行窓口係員に告げることなく預金の払戻しを請求し,同係員から,直ちに現金の交付を受けたことが認められるのであるから,被告人に詐欺罪が成立することは明らか」であるとの最高裁判所の判決は、もしかしたら厳しいと感じる者がいるかもしれないが、本事案の相手方は組戻しには応じなかったもののでき心に負けて罪を犯すことは避けられたようだった。

 私の想定どおりに進んでいたとしたらあとは少し調査をしたうえで相手方に内容証明郵便を送るかそれでも返金に応じなければ訴訟を進行することで解決するはずだったが、想定外の事態に私の見通しの甘さに気付かされた。稀な事ではなく十分あり得る話なので同業の者なら同じ経験があるか予想がついたかもしれない。

 さて、調査嘱託によって銀行から相手方の住所氏名を教えてもらったが、次にやることは住民票を取得することだ。裁判手続きにおいて個人は住所及び氏名で特定されるが、基本的には住民票上の記載によって行う。そのため、引越しをした時には、忘れずに転出・転入手続きを取ることをお勧めする。この事案では、相手方は市役所への転居手続を忘れずに行っていた。ところが、銀行への住所変更の届出をしていなかったため、ようやく掴んだ住所は過去のものだった。それ自体は問題ない。過去の住所を出発点に住民票を辿ることで現住所を調べることができるからだ。

その4

 司法書士業務を行ううえで、書類の保管期限というものには度々悩まされる。幸い、書類の電子化が進んだことによって、役所での保管期限は近年の法改正でずいぶん長くなった。例えば住民票の除票は5年から150年に伸びた。今後は記録が廃棄されていることに手間取らせられる機会は減っていくが、既に破棄されてしまったものはどうしようもない。要するに、過去の記録が廃棄されていて住所を辿ることができなかったのだが、市役所の担当者から同性同名かつ生年月日が同じ人物が市内にいるとの情報を得ることができた。ただし、相手方である可能性が限りなく高いその人物の住民票を発行してもらうことは個人情報保護のためできなかった。ここで少し、本事案の方針について修正を検討をする必要が出た。といってもこの時点で最終的に回収が成功することは確実だったため、余計な手間が増えたという程度にとどまる。

 住民票を辿るというのが、過去の住所から現住所を割り出す手っ取り早い方法だったが、ほかに打つ手がないわけではなく、私は思いつく限りの方法をすべて試す必要があった。まずは現地調査。把握している過去の住所へ実際に足を運び、建物の有無や居住状況、転居先について近隣住民への聞き込み調査をしてその結果を裁判所へ報告した。住所が指し示す場所に住居は存在しなかったが、そこはある企業の敷地であり、すぐそばに社宅があった。管理人に事情を聞くと、以前はその場所に社宅があり、6年前に現在の場所へ移転したとのこと。当時相手方が社宅に居住していたことは銀行から得た住所の記載によって分かっていたが、同性別名の人物が現在社宅に住んでいることがこの現地調査から判明した。もし相手方の家族であれば、住民票と戸籍から現住所を辿って連絡を取ることができる。

 現地調査と並行して、第二回目の調査嘱託を行っていた。その理由は、電話で銀行支店に問い合わせたところ、誤振込先の口座のほかに、相手方が複数の口座を持っている可能性があると聞いたからだ。照会内容は、複数の口座の有無、ある場合にはその口座情報と届出住所氏名、本籍地、電話番号、転居先が分かる場合にはその住所等であったが、この照会からは芳しい結果を得られなかったように記憶している。



その5

 この記事は、過去の事例について私の記憶と保存してある記録を頼りに思い出しながら書いているため、前後関係など、事実と多少ずれがあるかもしれないことはご了承下さい。

 記録を読み返したところ、第二回目の調査嘱託に対する銀行の回答は、相手方に複数の口座はないとのことだった。また、社宅に住んでいる同性別名の人物について調べてみたところ、どうやら相手方との繋がりはなくこれも空振りに終わった。

 住民票から相手方の現住所が辿れなかったことで、私は相手方に連絡を取るという方針を変更し、欠席判決からの強制執行に向けて進めていた。相手方の口座は仮差押できているため、勝訴判決を取ってそこから回収すればいいのだ。ただし、欠席判決を得るためには公示送達という手続きを経る必要があり、そのためにはできる限りの調査をしても相手方の現住所が分からないということを裁判所へ立証しなければならない。わざわざ過去の住所へ実際に行って聞き込みをするのもそのためだ。ちなみに。先ほど引越したときは転居手続きを忘れずにと述べたが、その理由は知らぬ間に欠席判決を取られてしまうことが実際にあるからだ。住民票の移動は法律上の義務であり、それを怠ったことによる不利益は怠った本人が被ることになる。

 私はそのほかに、相手方が勤めていた企業と市役所にそれぞれ調査嘱託を行った。企業への照会事項は、現在も就業しているか否か、家族が就業しているか否か、把握している最後の連絡先等であったが、回答はぞんざいで収穫はなかった。なお、調査嘱託は回答義務があるわけではないため、回答を拒否されたとしても異議の申立てはできない。一方、市役所に対しては、何度も電話で話をし、根気よく対応したかいあって同性同名同生年月日の人物がいるとの情報を得ていたため、当該人物について調査嘱託をしたところ、なんと、当該人物の住所を回答してもらうことができた。これも予想外のことで、通常であれば個人情報であるため回答は得られないはずだが、事前に電話で事情をよく説明していたのが功を奏した。

その6